身体の本能と意識とは?
生きるということは本能が突き動かす生命活動
生物の本能とは突き詰めていけば
- 生きること
- 子孫を残すこと
この2点に集約することができると思います。
「生きること」は環境からエネルギーを取り込んで、
リモデリング→身体を常に最新の状態にするために作り変える
ホメオスタシス→身体が生きるための一定の状態を維持する
ということを営むことです。
「子孫を残すこと」は自分が死んでも、種を残しながら、代を繋いでいくこと。
この機能があるから、脈々と進化と種の保存が紡がれていきます。
生命とは極論をすれば、この2つのサイクルを愚直に回すために存在していて、
植物でも動物でも、小さい虫でもすべての生物が行う根源的な単純な行動です。
こんな本能的な活動は内臓(もしくは原子的な脳)を中心にして、無意識の領域で営まれている活動になります。
意識が人間らしさを作っている特有の生命活動
では、意識って何でしょうか?
動物の中でも、特に人間は意識(精神)がもっとも発達しています。
「本能」が自然や環境に適応していく活動ならば、
「意識」、欲求や環境の変化や内的な変化にいちいち反応して、生命活動に様々な変化をもたらします。
「ゾウ」といったらゾウのイメージが、、、
「ライオン」といったらライオンのイメージが、、、
動物の種によってある程度しっかり想定できますよね。
でも人間は人によって同じ刺激に対してもまったく行動が違うし、
生きるという“意味”さえもそれぞれ違います。
意識が発達した人間という種ほど、個体によって生き方にバリエーションがあります。
本能の活動も意識の活動も生命の反応である以上、物質やエネルギーの代謝が必要になります。
でも代謝を行うためには、栄養や酸素が供給される必要がありますが、
この栄養や酸素を取り込む仕事は【本能の部分】でしか行うことができません。
現在の不調の多くは意識が過剰に働いて、本能の部分が働きずらくなっていると感じます。
日本の民族的な感覚はそもそも本能(感覚)的で環境と共存する
日本人の身体感覚には昔から身体の中心として “臍下丹田”という感覚があります。
これは、まさにお腹の感覚であり、本能(感性)の座と考えられます。
自然と共存してきた日本民族 (アジア民族)は、
環境を征服するよりは、受け入れて共存してきました。
欧米人は臍下丹田のような一点の感覚ではなく、体軸として、脊柱に沿うような縦軸の感覚で身体を使う傾向にあります。
これは西洋民族の方が上にある頭(脳)を利用して、自然を受け入れるというよりは巧みに支配し利用していくことからも想像できます。
東京などの近代化された都市は、
人間の意識(脳)のなかで合理化、省力化、画一化、簡略化などのキーワードをもとに全てが【意識(精神)】の世界を元にレイアウトされて作り込まれています。
→人と人との繋がりが希薄になりやすい・本能(感性)が鈍りやすい・頭が使われやすく自律神経が緊張しやすい
本能(感性)の要求が抑えられて、意識の要求が支配しやすくなります。
ストレスも精神的な不調も本能の発動が弱っている
精神的な不調や病気はこの本能(感性)の発動がとても弱くなっているという特徴があります。
人間らしい暮らしになるほど、潔癖症になり排他的になって本来の生命力が失われやすいのは事実です。
だからこそ、本能の部分→リモデリング・ホメオスタシスの見直しは大事です。
リモデリング→身体を常に最新の状態にするために作り変える
ホメオスタシス→身体が生きるための一定の状態を維持する
そしてそのままそれは、
→自律神経や血液循環を高めて内臓を中心とした回転を作る
→皮膚や膜組織がしっかり作られて、環境の中でしっかり自立する
→重力をしっかり受け入れてまっすぐ地球の上に立つ
という本質的な身体づくりに繋がっていきます。
聞こえは悪いかもしれませんが、
人間らしさを少し抑えて動物としての本質を見つめ直すことが今の日本の不調や病気を根っこから見直すのには近道になります。
そのためにも本能の座である内臓中心の力を取り戻すことが不調の改善に直結します。
*この文章は当院のコラム【身体が変わる視点】の中から、特に体質の問題にフォーカスしているものを改定して掲載しています。