最近のコラムでは特に【連動性】というテーマを扱ってきました。
自分の身体自体が自然の連動性の中で生かされていて、身体全体も連動しています。
この世はあらゆる要素がお互いに関連しています。
しかもこの世の基本は【一対多】の関係で繋がっています。
この繋がりを【複雑系】といいます。
大好きな福岡伸一さんの著書『世界は分けてもわからない』から少し抜粋させて頂きます。
この世のあらゆる要素は、互いに連関し、全てが一対多の関係で繋がりあっている。
つまり世界に部分はない。
そこには輪郭線もボーダーも存在しない。
ものごとのやりとりをある瞬間だけを捉えてみると、供し手(原因)と受け手(結果)があるように見える。
しかし次の瞬間を見ると、原因と結果は逆転している。
あるいはまた別の平衡を求めて動いている。
人間が認識できるものは【部分】であり、その関係性は多くは【妄想】でしかない。
私たちは見ようと思うものしか見ることはできない。
私はこの文章を読んだ時に、深く腹に落ちるものがありました。
自分の見たいと思っている【部分】だけしか見ることができない…
自分は何を見たいと思っているのか
逆に、自分は何を見たくないと思っているのか
これを知ることが大事だ、と感じました。
無意識のうちに私たちは【何が見たいのか】という選択を行なっています。
脳科学では【RAS】と呼ばれる、いわゆる脳のフィルターがあります。
脳への情報を都合の良いように選別しているらしいのです。
最近は自分の内側を見る【内観】ということがクローズアップされています。
【内観】は無意識で”思わされている”脳の情報”の選別作業を確認する作業です。
そしてフィルターの偏った選別機能や過剰な選別機能を見直していきます。
先ほどの言葉を使うと【RAS】のフィルターを自分で認識するのです。
こうすることで、【何が見たいのか】が見えてきます。
大人になるにつれて強くなる自我やプライドのようなもの。
まさに【RAS】の自動選別です。
私も自分で”意識して”見直すようにしています。
ところで、皆さんは自分の力で生きていると感じますか?
実は、私もそう感じます。
でも春の芽吹きなどを見ていると、ふと感じることがあります。
地球や太陽に促されて自然発生的に生まれてくる感じ…
私たちも地球や太陽、植物が作ってくれている”器”の中で自然発生的に”生を受けている”ような”生かされている”ような感じです。
この自然の漠然とした全体性を感じるのはまさに【感覚】です。
これは
【意識】ではなく【本能】の感覚です。
本能は”生かされる”ことに根ざした感覚であり発生起源の古い
皮膚や内臓の感覚
脳では内側の脳幹や大脳辺縁系
身体の軸となる関節の重力感覚
などの機能が重要と感じます。
自分の【RAS】を理解すること。
そして本能的な【感覚】を見直すこと。
複雑系の中で、自然の中で、人の中で
”生かされている”自分が見えてくる気がします。